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国家安全保障会議(トルコ語:, MGK)は、安全保障政策に関する最高意思決定を行うトルコ共和国の国家機関である。議長を務める大統領のほか、首相、参謀総長、および安全保障関係閣僚、軍司令官で構成される。 1982年に制定された現行憲法では、国家安全保障会議の権限は、安全保障だけでなく、政治、社会、文化等の非常に広範囲の政策領域に及び、トルコ共和国の事実上の最高意思決定機関として機能している。同会議は1961年の創設以来、体制の守護者を自認する軍部の強い影響下に置かれており、軍部は、同会議の場を通して、しばしば国内の政党活動、宗教活動などに対する統制を行っている。 == 沿革 == 国家安全保障会議の創設の契機となったのは、民主党のメンデレス政権を、当時の陸軍総司令官であったギュルセル大将が打倒した1960年5月27日の軍事クーデターである。翌1961年に改正された憲法で、「政府に対して安全保障上の助言を与える機関」として国家安全保障会議の設置が規定され、民政移管後も文民政府に対して軍部が影響力を行使することが可能となった〔新井 pp.256-261. 〕。 左右の政治対立が激化し、政治テロ事件が続発した1971年には、政府の対応を批判し、軍の政治介入を示唆する軍首脳の書簡が、大統領、上下両院議長に送付され、公正党のデミレル内閣が総辞職に追い込まれる「書簡によるクーデタ」事件が発生した。後任として発足した、エリムを首班とする超党派内閣では、国家安全保障会議の権限強化や、政治犯を審理する国家保安裁判所()の設置を規定した憲法改正が行われた〔新井 pp.269-273. 〕。 政権交代が頻繁に発生する不安定な政局が続いた1970年代後半には、キャスティング・ボートを握る国民救済党や民族主義者行動党などの宗教政党、極右政党が強い政治的影響力を行使し、インフレや失業対策などの経済政策も停滞した。1980年には、任期満了を迎えたコルテュルク大統領の後任を議会が選出できず、軍部は、これを政党政治の限界と捉えて、1980年9月12日に軍事クーデター(9月12日クーデター)を敢行して公正党のデミレル政権を転覆した。公正党を含む全政党が解党処分となり、デミレル、共和人民党のエジェヴィト、国民救済党のエルバカン、民族主義者行動党のテュルケシら主要政治家の公職追放が行われた。1982年の民政移管に合わせて公布された新憲法では、国家安全保障会議の権限が大幅に強化された〔新井 pp.283-285. 〕。 1997年には、1995年の総選挙で政権与党となったイスラーム系政党の福祉党が、軍首脳らにより国家安全保障会議の席上で、国是である世俗主義原則に反するとして批判され、同党のエルバカン内閣が総辞職に追い込まれた。福祉党政権の崩壊後、軍部はメディアや司法機関を使った反福祉党キャンペーンを展開し、福祉党の解党処分、党首エルバカンの公職追放が行われた〔澤江 pp.172-176. 〕。 体制の守護者を自認する軍部は、政局の混乱を招く動き、中でも建国以来の国是である世俗主義原則を侵犯する動向を警戒しており、過去の軍事クーデタ(1960年、1971年、1980年)でも、民主党幹部や、当時軍が最も敵視していた左翼勢力に対して逮捕、投獄、公職追放が大規模に行われたほか、1997年の反福祉党キャンペーンの際も、福祉党幹部でイスタンブル市長だったエルドアンが投獄されるなど、福祉党関係者への政治弾圧が行われた〔新井 p.258-260. p.272-273. pp.284-285. 澤江 p.143. 〕。 一方で、こうした軍部の政治介入は、政治の安定化を求める国内世論からはしばしば歓迎され、過去のクーデタの際も、軍部が行った多くの政治的弾圧にもかかわらず、多くの国民の支持を受けた〔新井 p.257. p.271. 澤江 pp.47-48. 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国家安全保障会議 (トルコ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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